ひらがな
2008-07-04 [長年日記]
_ [本]『ジャンパー』『イトウの恋』
『ジャンパー』上下読了。
なるほど、とても映像化に向いた小説だと思う。
この年齢にしちゃ、主人公があまりにモラリストすぎる気もするが。。。もうちょっと、舞い上がっちゃうのがふつうじゃないのかな?
両親との心理的な葛藤がきちんと描かれているので、、安っぽい活劇にならずにすんでいる。活劇としても、十分すぎるほどおもしろいけどね。
にじむさんおすすめの『イトウの恋』も読了。
100年以上前の、あらゆる意味でかけ離れた二人の間の、心の交流。そして、恋。
このドラマティックさに比べれば、現代日本の独身男女の恋愛は、どうしたって軽くなってしまうが、そのへんのバランスがちゃんととれているのが、うまいなぁ。
_ [食][物]炊飯土鍋はエライ
和平フレイズ ほんわかふぇ 炊飯土鍋 (二重蓋) 3合炊 HR-8382[Review]
某マイミクさんが mixi 日記に書いていたのを見て、あまりにおいしそうだったので、ついつい購入した炊飯土鍋。わたしが買ったのは5合炊きのほう。紹介してもらったのは楽天の別の店で、もっと安かったのだが、在庫切れなのか商品ページがなくなってしまった。
もともと使っていた炊飯器の内釜で4号のお米をといで、そのまま、前と同じように水加減をし、30分間水につける。水とお米を土鍋に移し、18分中火で加熱。途中で火加減の調節はしない。時間が来たら火を止めて、15分蒸らす。
土鍋で炊いたごはんはおいしい、という話は以前から目にしていたのだが、いやー、これ、ほんとにおいしいわ。ふっくらして、でもしっかりコシがあり、しかも、香ばしいおこげ!
昨夜たいたご飯があまりにおいしかったので、ふだんはお弁当は作らないのだが、今朝また炊いて、夫と上の息子におむすびを持たせた。
韓国ではスンニュンといって、お釜の底のおこげにお湯をさしてふやかしたものを、お茶代わりに飲んでいた。実家の炊飯器はガス釜だったので、しっかりおこげができて、小さいころはこれが好物だった。ひさしぶりにあの風味とはっきりしない味をたんのうしましたよ。
炊くのはとくに難しくないのだが、土鍋だしかなりの大きさがあるので、ものすごく重い。もろい素材なので、扱いは注意が必要だ。
ガスコンロが一口ふさがってしまうのはどうかなぁ、と思っていたのだが、実際にやってみると、火を使う工程は、たいてい食べる直前なので、むらし時間の間にできる。ふだんでも、3つのコンロが全部ふさがるってことはめったにないので、とくに支障はなさそうだ。
もともと、近くの農家でつきたての有機米を買っていたので、うちのごはんはおいしい、と思っていたのだが、さらにグレードアップしちゃいました。
問題は、外食や買ってきたお弁当などのごはんがまずくて閉口することだよね。
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_ [在日・韓朝鮮]14歳

日本人と結婚しても、ずっと本名で生活して、韓国語もしゃべれるようになるよ。
そうやって生きても後ろ指指されない日本社会になってるよ。
ま、正確に言うと、「韓国語も"多少"しゃべれるようになる」ですかね。
でも、14歳のときに知ってた韓国語は、自分の本名と「アンニョンハシムニカ」だけ。ハングルはまったく読めなかったんだから、こういってもそんなにおかしくはないかも。
両親も含めて、すべて日本名で生活していて、本名と言っても、単に知識としてそういうものがある、と了解しているだけで、その名前で呼ばれたことはまったくなかった。
1977年のことだ。
当時、外国人登録の切替は14歳以上だった。授業が終わってから市役所に行ったのでは間に合わん、ということで、親に一筆書いてもらい、掃除をせずに学校を出て、初めての切替にひとりで行った。初めての指紋押捺。市役所のカウンターではなく、奥の方に呼ばれて、黒いインクを右手人差し指につけ、回転方式で指紋をとる。
そのときはそういうもんだと思っていたので、屈辱的だともなんとも思わなかったが、市の職員が、明らかにひと目に触れないようにしている雰囲気は感じた。窓口で通名で呼ばれたほうが、ちょっと不思議だった。書類のどこにも日本名は書いてなかったのに。小さい町で、市役所のすぐ近くに父がやっていたパチンコ店があったから、職員のほうはどこの娘だか知っていたんだろうな。
中学3年になると、やはり進路のことを考えるようになる。高校進学は、別に問題ない。大学もたぶん行くだろう。でもその先は?
就職差別が当たり前のようにあった時代で、成績がいい子供は、当然のように医学部志望だった。ほかに、在日がつける、社会的ステイタスの高い職業はなかったのだ。マスコミも含めて、大企業はあり得ない、という雰囲気だった。
で、わたしもご多分に漏れず医学部に行こうと思っていたのだが、適性も自分の志望もへったくれもないそういう状況には、やはり鬱々とするものがあったんだと思う。
中3の「夏休みの一研究」に、「在日朝鮮人について」というタイトルで、レポートを書いた。内容的には本を数冊読んでまとめ、自分の身の回りで見受けられることを付け加えた程度のものだったんだけど、校内のコンクールで金賞をもらったのは、レポートの中身より、自分の出自を明らかにしたことへの評価だったような気がする。
そのころ読んだ本の1冊に、金賛汀氏の『祖国を知らない世代』という、在日2,3世についてのルポがあった。両親や親戚以外に在日の先達というものを知らなかったわたしは、金賛汀氏に胸のうちをつづった手紙を書いた。本を読んで、著者に手紙を書いたのは、そのときがもちろん初めてだったし、それから後もしたことがない。
本を書く人なんて、田舎の中学生には別世界の人だったので、ていねいな返事が届いたときには、驚いた。いまでも、ノンフィクションライターとして、良心的な仕事をされている人だが、それ以前に、人間としてのハートが感じられる手紙だった。その手紙は、ほかの手紙やノートなどといっしょに、長らく実家に眠っていたが、今年になって掘り出して持ってきたので、今は手元にある。
そして、在日の先達として、この年にわたしの前に現れたのが、弁護士の金敬得氏だ。彼が在日として、初めて司法修習生になったことを報じた新聞の切り抜きを、長いこと机の中に入れていた。将来の希望も医者から弁護士に変更。単純なんだよね。
自分にはまったくどうすることもできない状況としてそこにあった「差別」を、無名の青年がひっくり返すことができる、と、そのとき初めて知ったのだ。
それがわたしの14歳のころ。だから、冒頭の述懐につながるわけ。結論はとくにない。
本日は土鍋ご飯で親子丼。 今日気づいたことだけど、土鍋ご飯のお焦げってちょっと麦...




読みました。14歳って中学2年か。3年か。隣に住んでた在日のお姉さんは、小学校を卒業したら遠くの「朝鮮人学校」に行ってしまったから、いっしょに遊べなくなった。家に行って本棚を見たら教科書があった。中国語で書いてあるのだと勘違いした。頭の良いお姉さんだった。
わたしは日本人だけど、子どもの頃からまわりに在日の人たちがいて、それからもいろいろお世話になった。
わたしは社会的に在日を圧迫する側にいるけど、彼らは大切なことを教えてくれる存在だった。
14歳のよんひゃんさんは「境遇」に負けなかったんだ。
ちゅうたしげるさん、ツッコミありがとうございます。
わたしは1月生まれなので、14歳の大半は中学3年でした。多感なころだし、自分の将来ってものを、初めて現実的に考えるころですよね。
14歳のころ、境遇に負けなかったというより、そういう境遇に立ち向かうための力をいろんな人からもらったということでしょうね。
つたないレポートに金賞をくれた社会の先生も、たぶんそういう選択をした教え子に、励ましの気持ちを持っていたと思うし。
とても恵まれていたと思いますよ。
あの頃のよんひゃんは、頭の良い大人びたお金持ちのお嬢様で、私の大切な友達でした。一度だけ遊びに行きましたよね。大きなお宅でビックリしました。とにかく自分というものをシッカリ持っている、私はそれが羨ましかった。でもそれは、在日としてのあなただったからだったのかな。私は何も考えてなかったから。周りは兄弟と比べ、必死で期待に応えようとしてましたが空回りばかりでした。息子の障害を勉強して、私自身が同じ障害だったようで納得しましたが…。よんひゃんの事も、自分では気が付かずに傷付けていたかも。無知でごめんね。
コメント遅くなってごめんなさい。
プニュさんに謝ってもらうようなことは、なにもないですよ。わたしが覚えてない、っていう話ではなく、事実として。プニュさんって、属性で人をおとしめるなんてことを、およそ言いそうにない人だし。
でも、友人のことを考えることから、在日がおかれている立場に興味を持ってもらえると、うれしいなぁ。