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I'll be here−社労士 李怜香(いー・よんひゃん)の多事多端な日常


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2008-08-26 [長年日記]

[この日を編集]

_ [在日・韓朝鮮]宿題がいっぱい

急に涼しくなったので、夏休みの宿題の追い込みにかかっている小学生諸君は、さぞはかどることだろう。夏休み明けが前期試験の学生さんも同じく。って、うちにはその両方がいるんだが。

そういえば、在日の名前事情に関して、前にも書いたよねーと思いついたのでリンク張っておきます。

複数の名前と生年月日

あと、わたしの感じる「民族」というものについて、書いたものも。

美しい習慣

それと、最近書いた自分語りをふたつ。

14歳

いま聞くと冗談としか思えないが

もっといっぱい読みたい、というオヒマな方は、こちら。古い方から並んでいるので、最近の記事は下の方です。

「在日・韓朝鮮」カテゴリーのエントリー

でも、こうやって自分の以前に書いたものを並べると、ツッコミ欄の返答で、「あとから記事あげます」とか言って、そのままずるずる書いてないものがいっぱいある! 宿題がいっぱい。ということで、きょうはこれでお茶を濁しておきます。ははは。


2008-08-24 [長年日記]

[この日を編集]

_ [在日・韓朝鮮]「本名」「通名」に関する自分語り

きのうのエントリーにつけてもらった、 ぐるぐるさんのツッコミについて。コメント欄に書こうとしたら、えらい長くなったので、エントリーたてました。

「通名」というものに対して在日コリアンが抱いている感覚、というのは、「ふつうの日本人(という言い方は好きではないのですが)」にとってもっとも分かりづらいもののひとつかもしれません。自分も、理屈ではなんとなく分からないではないような気がしなくもないけれど、感覚的につかんでいるかというとそうでもなく、どう言葉で表現したら良いか分からなくなってしまいます。

「在日コリアンの感覚」といっても、千差万別なのはもちろんですが、*1民族教育を受けた人と、わたしのようにずっと日本の教育しか受けたことのない人の感覚というのは、やはり大きく違うと思います。要するに、民族教育を受ければ、その中で「本名」で呼ばれるので、「本名」が実際に名前として内実化されるけど、そうじゃない人にとっての「本名」はほとんど実態のない、書類上のものにしかすぎない場合が多い、ということです。

民族教育を受けていない三世の話、という限定をつけて、わたしの経験を書きましょう。

「通名」を使っている在日の名付けのしかたにはいくつかのパターンがあって、ひとつは、日本名と民族名という形で、最初からふたつの名前をつける場合。もうひとつは、日本名しかつけず、それをそのまま読み替えて「本名」とする場合。みっつめとして、民族名をつけ、それを日本の名字にそのままくっつけて、日本名とするやり方。さらに、韓国語でも日本語でも同じ読みになる名前をつけて、共通に使う、というやり方もあります。

わたしの場合は、二番目で、実は民族名というのは最初からないのです。日本名が優先か、と驚かれるかもしれないけど、在日の、とくに女性にはけっこうこのパターンが多くて、父の兄弟など、父や叔父たちは日本名と民族名のふたつがあるけど、叔母は日本名のみ。母の兄弟もそうで、あきらかに女の子は雑に扱われてます。わたしの兄弟は、わたしだけでなく、妹も弟もこのパターンだから、まだ男女平等ですねぇ。

話がそれましたけど、将来子供が「本名」を使うだろう、なんて親はあんまり思ってなかった、というのは、この話からもわかると思います。

高校を卒業後、「通名」から「本名」にした経緯は、このときに詳しく書いたんですが、この中に書いてないことがあり、大学に入学したときに学籍簿に登録した名前は、本名を日本語読みしたものだったんですね。「이영향=イー・ヨンヒャン」という発音は、そのころ、自分にとってまったくリアリティがなく、とても自分だとは思えない、ということで、こういう風にしたような覚えがあります。だいたい、韓国語はぜんぜんできなかったので、カタカナで読んでるだけで、正確な発音も知らなかったし。まさにわたしにとって、名前だけではなく、民族性なんて遠いものでした。

それなのに、なぜ「通名」をやめて、曲がりなりにも「本名」にしたかというと、「自分を偽らずに生きたい」ということなんでしょうね、やっぱり。だから、きのうのリンク先の同胞女性の書かれていることは、わかりすぎるほどよくわかります。

でも、日本名で過ごした時期も、もちろんわたしの人生の一部分であるし、その名前を呼んで、親が自分を慈しんでくれたことは大事にしたいと思っています。

そういう意味で、「通名」に愛着を感じ、その名前をずっと使い続けていくことも、わたしはそれを選ばなかったけれど、人間として当然のことだし、なんら非難されるようなことではないでしょう。

もともと、立派な韓国人になりたい、という気持ちはあまりなかったような気がします。韓国に生まれ育った韓国人が「正当な韓国人」で、こっちはどうがんばっても二流かよ、というあほらしさは、当時から感じていたし。

これは、「二流の日本人」に関しても、同じように思っていましたし、いまも思っていますけど。

生まれつき、「正当な○○人」という存在から隔てられたものから見れば「正当」とか「ちゃんとした」という概念自体が、ものすごーくうさんくさいものなのです。もちろん、そういう、まさに教条的な民族主義を体現して、「在日は本名を名乗るべき」とか「韓国語もちゃんと勉強するべき」みたいな人はいっぱいいますけど、そういうのは好きじゃないのです。そうじゃなくてもいろいろタイヘンなのに、同胞同士で相手を抑圧してどうするんでしょうね。

わたしは本名をなのっているし、言葉もそれなりに勉強しましたが、それはりっぱな韓国人になるためではないし、そうしない人たちに圧迫感を与えるようなものの言い方はしないように気をつけているつもりです。うまくいっているかどうかわからないけど。

ひとつ言えそうなのは、、在日コリアンが「本名」を名乗るということが、ある種の(あまり現実に則していない)ロマンチシズムを伴って語られているのかもしれない、ということ。「民族名を名乗り、誇り(アイデンティティ)を取り戻す」みたいな、図式というか「物語」が、完全な虚構だとは言えないのでしょうが・・・スミマセン、やっぱりうまく言葉にできません。^^;

いままで使い続けていた名前をかえる、というのは、かなりエネルギーのいることなので、そういう「物語」がそのスプリングボードになることは、多々あるし、そういう意味では、おっしゃるとおり完全に虚構ではありませんよね。

わたしの場合、「本名」を使っている背後にあるのは、「民族」という大きな物語よりも、わたしの祖父母が日本で苦労してきた跡を残したい、という気持ちかもしれません。これも、もちろんひとつの物語にすぎないわけですが。

_ [お知らせ]お返事遅れます

ゆうこさんにもらったツッコミと、野原燐さんからのお返事F1977 さんのエントリーについても書きたいわけなんですが、どれも長くなりそうなので、日を分けてぼちぼち書きます。遅くなるかもしれませんが、ご容赦を。

とくに、野原さんと F1977 さんには、誠実に受け止めていただいたことを、たいへんありがたく思っています。

*1 ぐるぐるさん自身はそんなこと百も承知でしょうけど、読んでる他の人のために、念を入れてます。

本日のツッコミ (5件) [ ツッコミを入れる ]

Before...

_ 李怜香 [あ、送信されてしまった。 書いて書いて。いろんな人が「わたしはね」なんて自分語りを始めるとおもしろいと思うなぁ。「..]

_ ゆうこ [そうそう。海外に出るときに初めて、本名の英語表記と発音を知った! 「へ〜」って(笑)。パスポートとりに行った領事館で..]

_ 李怜香 [ちまちまて。。。だれも大河ドラマは期待してませんよぉ(笑) パスポートに書いてある英語表記の名前、っていうのも、な..]


2008-08-23 [長年日記]

[この日を編集]

_ [在日・韓朝鮮]「通名」をめぐる二重の否定

「本名」というと、ふつうペンネームとか芸名とかハンドルネームなどの、限定的な場面で使われるものではなく、その人を本来表す名前という意味だろう。基本的には「戸籍名」なんだろうけど、たいていの日本人は、「戸籍名」をもっとも内実化した名前として持っている。

だが、通名を使っている多くの在日にとっては、「本名」とはいっても、それは単なる「戸籍名」としての機能しかなく、通常まわりから呼ばれる名前、自分が基本的になのる名前は「通名」なのである。

「通名」といっても、決して仮の名ではなく、自分で選んだものでもない。これを「ハンドルネーム」になぞらえるのは、明らかに間違いだ。差別の象徴である通名を、ハンドルネームなんて軽いものになぞらえるのは許せん、という話ではなくて、筋自体がぜんぜん違うのである。

私が野原(ハンドルネーム:よんひゃん注)であることがアプリオリであるなら、それに対し自己否定の感情にさいなまれ続けることなどありない。

弯曲していく日常:通名で生きること

この人の想像とはまったく違い、「通名」=「日本人らしい親からもらった名前」こそがアプリオリなものであり、「本名=戸籍名 or 民族名」というのは、たいてい、あとから知識としてやってくるよそよそしいものである。

わたし自身は、通名をなのることが

それによって、「差別」を受ける可能性が低くなることと引きかえに、歴史を裏切っていること、偽りの生を生きているのだという、自己否定の感情にさいなまれ続けながら

大切なのは、理念です。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

なんてことだとはまったく思わないし、わたしだけじゃなくて、通名をなのっている在日で、こういう意識を抱いている人なんて、めったにいないでしょ、としか思えないのだが、在日が自己を否定せず生きるためには、幼いころからいちばん親しいものとしてあった自分の名前(通名)を否定せねばならぬ、という考えに至るのも、よく理解できる。

在日一世についてなら、本名と通名についてこういうことも言えるかもしれないが、通名で育てられた二世以降については、あまりに図式的すぎるし、教条的な民族主義の匂いがぷんぷんして、ちょっと勘弁して、と言いたくなるのも確かだが。

で、その否定されるべき「通名」というのが、そもそも、日本社会に溶け込んで少しでも楽に生きるには、朝鮮だの韓国だのといったところで一文の得にもならないし、日本名を使っとくにしくはない、という判断から来ているわけだ。二世以降は、判断する機会すら与えられていないが。

民族性を否定された状況を内面化してしまうと、民族性の否定を否定するためには、自分の内面を否定せねばならぬ、というまことにしんどい話である。

いま生きていることが「偽りの生」なら「真実の生」なんてものがどこかにあるのか、マイノリティだけが「偽りの生」を生きているわけじゃあるまい、というのはわからないじゃないけど、社会の暴力を個人の内面の問題として引き受けさせられている、という話への応答としては、ちょっとのんきすぎるかも。

本日のツッコミ (2件) [ ツッコミを入れる ]

_ ぐるぐる [お久しぶりです。 「通名」というものに対して在日コリアンが抱いている感覚、というのは、「ふつうの日本人(という..]

_ ゆうこ [わたしの場合は、通名→戸籍名→戸籍名の英語表記とその発音→婚家の姓→離婚後の姓というふうに「出合って」きて、もはや自..]


2008-08-08 [長年日記]

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_ [イベント][家庭]帰省します

野のユリ

あすから13日まで、岐阜の実家に帰省してきます。

すでに更新がとまって久しいので、いまさら告知でもないかなーと思ったのですが、いちおうお知らせまで。

携帯知ってる人は電話も通じるし、メールやここのツッコミも見られるので、PC なくても、十分連絡つきますしねぇ。

「帰省します」というと「韓国?」と聞かれることが多いんだけど、わたしにとって韓国は遊びに行くところで、帰るところではないんですよね。あっちにも親戚がいるけど、ほとんどつきあいはないし。

というわけで、暑さがますます厳しいので、みなさま夏ばてしないようにご自愛くださいませ。

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2008-07-18 [長年日記]

[この日を編集]

_ [労働]漁師は「ストライキ」できない

しかしこの件、記事を読む限りどう見てもなんらかのこと(具体的にはガソリンが値上げされた分の補填とか)を要求するための行動であってストライキだと思うんだが、新聞報道はどこもかしこも「一 斉 休 漁」。

ストライキという言葉は自粛すべき差別語か何かか?

一 斉 休 漁:kmizusawa の日記

逆に、「漁師がストライキ」と新聞とかの見出しに出たら、わたしはちょっと違和感あると思うなぁ。

これは、たぶん、ってことで、確証はないけど、「ストライキ」というと、通常労働者が争議行為のひとつとして、労働の提供を拒否することをいうので、漁師の場合は労働者じゃないから、ってことじゃないだろうか。漁師が要求を出してる相手は行政であって、漁師たちの使用者ではないし。

「労働者ではない」というのは、働く人ではない、という意味ではなく、「労働基準法9条で規定される労働者」ではない、という意味。労働法では、「労働者」かどうか、というのが、「労働者として保護されるべき人かどうか」というのと関わってくるので、厳密に定義して扱われる場合が多い。

労災がらみの行政裁判などでも、ある人が「労働者」かどうか、というのは、争点になる場合がよくある。

確かに、ふだん報道がそんなに言葉を厳密に使っているかというと、そうでもない場合が多いので、全部が全部語義に忠実なのは、kmizusawa さんが思ったように、若干不思議な感じはするけど。

というわけで、厳密に言うと、漁師は「ストライキ」できないのである。労働者ではないから。

最近、なにかのテレビ番組で、ここのところの穀物の高騰に耐えきれず、廃業する酪農家が激増している、というのを見て、まったく知らなかったので驚いた。もちろん、酪農家の団体が、行政各所に要望などはさんざん出していることとは思うが、ここまで困っているのに、社会的に大規模に訴えることをせず、黙って廃業してしまうのだから、日本の農民は実におとなしい。

行政がやりたい放題になるわけである。

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本日のツッコミ (2件) [ ツッコミを入れる ]

_ SAKURA [おお、そうだったのですね。ありがとうございます。]

_ 李怜香 [こちらこそ、たびたびネタ(笑)にさせてもらって、ありがとうございます。]


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